私も配偶者の父の認知症が今夏から急激に進行していて、もちろん息子や嫁の名前どころか自身の名前も認識出来ません。昨日も病院に付き添って行きましたが、あの頑固で扱い難かった彼は今ではいつもニコニコしていてくれて、お世話は確かに大変なのですがその笑顔を見るときっちりお返ししてもらっている気分です。。時々、この嫁の私を「大尉!」とか「京都のおばちゃん」とか呼ばれて吹き出すこともあります。思わず抱きしめちゃう!きっと若い頃を思い出しいるのだと。どうぞ笑顔の時が少しでも長く、と願わずにはいられませんしこういうことも生きていればアリだと深く納得できますもの。私はこんな義父を持って幸せに思います。 スキンシップは効果的ですよ。 ja vie en rose
コメント
私達は美人なのw絶対にねw
さて、認痴はね忘れ去られると思うと辛い。置き換えと思いましょう。一番に輝いていた時が記憶に残ります。理解する事。これが一番難しい事ですが。決して忘れて等いないのですから。形が変わっただけ、表現が変わっただけ。私には、理解されない認痴の方が非情に可愛そうです。
「決して忘れて等いない。」
この言葉に救われる思いがしました。
大好きだった祖父は私を忘れてなんかいなかった。
そう思うと嬉しくて嬉しくて。
春紫苑さんのコメントで、この2年間の悲しみが払拭されました。
本当にありがとうございました。感謝しています。
スキンシップは効果的ですよ。
ja vie en rose
春紫苑さまのコメントとともに、あなたからのメッセージを
彼が読んだら
きっと悲しみも薄れ、その先をいくらかでも考えることが
できると思います。
そしてそのようなきっかけを与えて下さったお二人に
感謝することと思います。
いつもいつもあたたかい言葉のプレゼントを頂き
ありがとうございます。
私はこの先、何人かの近い身内を見送らなければならない立場です。
それを考えると、悲しさだけが先行してしまっていましたが
それをしっかりと受けとめ、その役割を果たしていくことも
私が生まれた意味なのではないかと思いました。